女子二人でのダイビング旅行(その2)
今週のお題「人生最大の危機」
その1からの続き
朝、起きると、部屋の鍵を中央ログハウスの鍵ボックスに預けるのだが
25日の朝、預けて、夜、部屋に戻ろうとしたら鍵がない。
部屋に置き忘れたかと思って、部屋に行くと鍵がかかっている。
朝、確かに預けた!
おかしい!なんだろう?落としてないか探したがない。
フロントに話をする。フロントにもない様子。
預けてないんじゃないの?みたいな感じで言われたが
「いいや、朝、確かにここに入れた」と話す。
とにかく、部屋にはいれないので困るということを訴えたところ
部屋についてきてもらって、鍵のかかっている様子をみてもらい
そのときは、たまたま窓が鍵がかかっていなくて
「窓から入って」と促され、とりあえずそのようにした。
どうするんだ?この先!
翌日は、窓からでたが、フロントに聞くと「鍵はないから」の一点張り。
でも、鍵はしまっているから、鍵を開けるのはどうしたらいい?って話をして
また、夜、部屋に戻るときについてきてもらい
部屋の鍵を開けてもらった。
っていうか、マスターキーなんてないから、鍵を壊したんだけど。
「鍵はこのままでいいよ」とのこと。
➡️鍵をかけないなんて無用心なピンチの話
結局、以降は鍵をかけない状態で過ごしたのだった。
部屋もどうするんだろうと思ったけれど、宿泊施設は閉鎖になるから
別に気にしなくてもよかったのかもしれない。
お金はそんなに持ってたわけじゃないけど
心配なのは航空券とパスポート!
でも、まあ、なんとか無事に何事もなく過ごせたんだけど。
25日は朝から夕方までダイビング三昧
魚の群れもすごくて、さすが海外は違うな~なんて思っていた。
25日の朝は、別のスポットではハンマーヘッドがたくさんいた!とか。
26日も同じく早朝からダイビング。
1本目を終えて、2本目を潜る準備を整え
朝ごはんと思って中央ログハウスに戻ってきたら
テレビから何やら映像が流れてきた。
音を聞いていても英語でさっぱりわからないんだけど
「national emergency」ってテロップが流れ
え?何が起こってるの?と、みんなでテレビに釘付け。
インド沖がなんちゃらとか、地震がなんちゃらとか
映像ではインドに津波が到着するのは何時くらいとか
何メートルの津波の予測?みたいな感じで
どこで、何が起きてるのか、まだまだ把握できていなかった。
➡️世界規模で最大級のピンチの話
というわけで、実際、スマトラ沖地震があったときは
私は海の中にいたんだけれど、全く揺れも感じないし
いつもと変わらないような感じだったわけ。
ガイドさんも、全くわからず。
だから、その日も朝ごはんの後も、その後も
普通にダイビングをして、ごはんを食べてと過ごしていた。
ところがだ!
その次の日に異変に気がついたみたいである。
今まで、ハンマーヘッドやら何やら
魚の群れやら、めっちゃたくさんいる!って喜んでいたガイドさん(日本人)
26日を境目に、以降、全く見られなくなった。
まあ、ダイビングは普通に潜っていたし、大きな変化はなく過ごしていたけれど
海の中の生き物の動向が変化したようで
「いつもと違う」「数日前からたくさん見られたのはこのためか」とガイドさん。
シパダン島にいるときは、本当にのんびりできて
世界のどこかで地震があったなんて信じられないくらい。
津波がすごかったなんて、感じることもなかった。
あ、海亀の産卵ツアーにいきました。
夜じゃないとダメだから、夜、遅い時間に
現地ガイドさんに案内してもらって、みんなで産卵を目の前で見た。
海亀には触っては行けないんだけど、ものすごい至近距離。
30センチくらい近づけたんだよね。
本当に涙を流すんだな~って思った。
1日、5本とか6本とか潜ってたけど
飛行機に搭乗する24時間前までにダイビングは終了しないといけないので
29日の午後には飛行機に乗るので、ダイビングは28日の午前中まで。
なるべく早い時間で終了とした。
そしたらさ、初日に一緒に潜ったグループ
帰国の日程、同じ日だって言ってたのに
何時のフライトか知らないけど、午後も潜ってたぞ。
減圧症になっても知~らない←心の声
➡️やっぱり一緒に潜らなくてよかったというプチピンチの話
シパダン島をでて、まずは船でなんとかって町まで行き
そこからマイクロバスに揺られて小一時間、タワウ空港へ。
そこからコタキナバル空港へ。
コタキナバルでまた入国審査みたいなものがあって、クアラルンプールへ乗り継ぎ。
コタキナバルで乗り換えに時間があったから、ここでお土産を買う。
シパダンには何もないから。
サバティー買ったよ!職場のお土産と、自宅用にも。
クアラルンプールで国際線に乗り換える。
成田へのフライトまでも少し時間があるから、お土産をちょっと見て
時間より余裕を持ってゲート近くにいたはずなんだけど
旅行会社からもらっている行程表に書いてある
乗り換えの仕方の通りにしたはずなんだけど
その場所には成田行きの案内がない。
出国審査もしないといけない。
大慌てで係員さんにジェスチャーで
「成田行きにのりたい。どこにいけばいい?」と訴え、走りまくった。
どこのゲートがどこ行きなのか、確認はしているつもりだったが、成田行きが見当たらず。
おまけに国際線と国内線があるから、気をつけていたつもりだった。
行程表にも、注意事項に書いてあったし。
行ったことがないところは焦る(T_T)
なんとか出国審査も間に合い、成田行きの飛行機にも間に合うことができた。
➡️飛行機に乗り遅れるんじゃないかと思ったピンチの話
しかし、クアラルンプール空港、素晴らしかった。
国際空港だし、ターミナル空港だからというのもあるが
近代的で、都会だなぁ~って。
だけど、日本語じゃないからどこへいったらいいかわからなかった(笑)
だいぶ、時間が経って忘れていたけれど
シパダンにいたときに起きた地震の件
詳細がわかったのは、帰国の時の成田行きの飛行機で日本語の新聞を見たとき。
➡️詳細がわかって事を把握してピンチの話
もっと、焦ったのは成田についてから。
当時の携帯はスマホじゃないし、私の携帯は海外では繋がらないので
成田を出発するときに電源を切っていたわけ。
シパダン島には本当に何もない。電話をするすべもない。
成田に到着して、携帯に電源を入れたら
メッセージと留守電がすごくてビックリ。
親からはもちろんだけど、職場の上司(当時の係長)から、何度も連絡があった。
他にも友人やら、昔の上司やら。
➡️自分の中で最大級のピンチの話
年末年始休みの前に数日、有給をとって旅行に行ったから。
職場には行き先(マレーシア)も言っていたから
地震が起きた場所と近いだろうと思われていたようである。
クアラルンプールから成田までは寝ていたからよかったが
常夏の島から、急に真冬の日本。温度のギャップにこれまたピンチ。
成田から高速バスで3時間ほど。
メッセージや留守電をいれてくれた皆さんにメールしたりして。
職場の上司には、自宅に着いてから電話したのでした。
その後
帰国したのは12月30日
地元では数日前に雪が降ったとのこと。
翌日の31日、
急に寒くなって、風邪を引き、熱を出した。
当時、両親ともに出かけていていなくて
自力で運転して休日夜間診療所へいこうとして
雪が積もっていたのだけど、車の通った跡もあるし、通れそうと思ったが
雪がはまって動けなくなってしまった。
通りがかった近所の人がシャベルを持ってきて雪をかいてくれて助かった。
熱で朦朧としていて判断力が鈍っていたのもあるが
診療所に行く前にさらに熱があがったと思った。
➡️帰宅してからもピンチ続きの話
記憶が定かでないところもあったけれど、だんだん蘇ってきた。
こんなこともあったなという、ピンチの話でした。